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No.8「できない」は劣等感につながる?
©️Kimiko Sekimoto
嫌悪感は、「外部からの私たちの命を危険にさらすものの侵入を防ぐための行動を起こすために身についた感情」ということを前回は説明しました。文明と社会が複雑に発展した現代においても、その根本的な意味は変わっていないといえます。
例えば、子どもの「○〇が嫌い」という感情や態度、例えば、「運動が嫌い」「体育が嫌い」などは、子どもが自分の自尊感情(自分が自分自身に対し、経験に基づいて抱いている、自分についての肯定的な評価)をこれ以上低下させないようにする(自分を守る)ために、「○〇」を避ける目的があるといえます。
しかし、現代の私たちの生活では、自分が嫌いなことならば何に対しても自分を閉じてしまえば良いのかというと、そればかりでは社会の一員として生きていくことができません。そのため、多くの人は嫌々ながらもそれに取り組むことになります。
「跳び箱は苦手だから嫌い。体育の授業に出たくない。」「うまく泳げなくて、みんなに冷やかされるからプールは嫌い」という子どもは、学校では授業の課題としてこれらに取り組まなければなりません。そのため、自分を「閉じて」授業を休むか、嫌々ながら授業に取り組むか、どちらかを選択しなければならなくなります。
このとき、子どもの気持ちの中には、もう一つの感情が生まれています。それは「劣等感」です。嫌悪感と劣等感。これらの気持ちは、子どもにとって(あるいは現代人にとって)、ほんとうにやっかいな感情なのでしょうか。次回は、この点を考えてみたいと思います。
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