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No.9「劣等感」について
©️Kimiko Sekimoto
今回から劣等感について考えます。「自分はどうして〇〇ちゃんのように泳げないんだろう。だめだなあ」。このような考えや感情は、子どもに限らず大人でも、何かしらのことで持つことがあります。自分のことで他者よりも劣ることがあるときに生じる(正確には、生じることがある)感情、それが劣等感です。日本では、通常、コンプレックスと呼ばれています。
劣等感(インフェリオリティ・フィーリング)は、オーストリアの精神科医(精神分析学者)アドラーがつくり広めた用語です。アドラーに従って劣等感を説明すると次のようになります。客観的な事実として、他者よりも劣ることがある場合、それは劣等性(インフェリオリティ)と呼ばれます。
例えば、私は大学で競技チアリーディング部(応援チアとは別です)の副部長をしています。競技チアには高い運動能力が必要です。私にはそもそも競技チアの経験がありません。したがって、チアに関しては誰からみても劣等性があります。では、私はそのことで劣等感を持っているかといえば、持っていません。
人にはその人なりに様々な劣等性があります。しかし、そのすべてに劣等感を持つわけではありません。劣等感は、自分の自尊感情(前回のコラムを参照)を保つのに必要な能力や資質に客観的な事実として劣等性があり、そのことが主観的に「劣等だ」と自覚されて、自分らしくあることが揺らいできたときにはじめて生じる感情なのです。
劣等感は持ちたくないし、無い方が良い。そう思っている方がほとんどだと思います。本当にそうでしょうか。次回、考えてみたいと思います。
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